小説「午後の曳航」
三島由紀夫の「午後の曳航」を初めて読んだのはいつだったろうか。
その魅力にすっかり虜になった私は舞台になった横浜に行ってみたかった。
ホテルニューグランドに泊まってみたかった。
海を眺めて外国船を見て元町を歩いてみたかった。
その夢が全部かなって元町を歩いていた時のこと
ふと一軒の紳士用品店を外からのぞいてみて
「小説のお店だ!」
その雰囲気が房子の経営するお店に似ている!
あとで調べたらたしかに小説のモデルになったお店だった。
そこに美しい女主人はいない。
それはそうだ。
もし房子がいたらもう80半ばの老婦人だもの。
房子のモデルはいたのだろうか。
私にとって主人公は息子ではなく房子なのだ。
夏休みの終わる頃なのに赤い下着に黒の絹のレースの着物を着た房子。
今の夏はそんな装いはとても出来ない気温になってしまった。
美しい主人公と息子はあのあとどうなったのだろうか。
「チャタレイ夫人の恋人」を読んだあともこのひとたちは
これからどうなるんだろうと思ったものだった。
この写真の人の装いは房子の時代と違うけど
物憂いかんじはちょっと房子さん風かなと載せてみました。
テーブルを作りました
お人形たちがトランプしたり
絵本を眺めるためのテーブルを作りました。
むかし大好きだった「大草原の小さな家」では
お父さんがテーブルや椅子に家までも全部作っていました。
それを見て私も家具やお皿は自分で作りたいと思ったけど
とうとうできなかった。
家具はものすごい力がいりそうだし
陶芸教室ははいってみたものの ろくろを見ていると船酔いのようになるし。
人形のテーブルぐらいが私にはちょうどいい。
近藤富枝氏の訃報
私の敬愛する作家の近藤富枝氏が亡くなった。
何故かしばらく手に取らなかったこのかたの本を読みたくなって
「移り行く姿」と「文士のきもの」を本棚から取って枕元の机に置いた。
それが24日。
一度お会いしたときのことを思い出しながらその夜から読み始めたのだが
昨日の新聞で24日になくなったことを知った。
あまりの偶然に驚いている。
私がファンになったのは「服装から見た源氏物語」の女三の宮の記述を読んでからです。
『作者の式部は、優れていない女性については、全く同情がない。密通して不義の子供を産むと言う行為だけをとり上げれば、女三の宮と藤壷は全く変わりはない。ところが式部は、密通よりはその後不用意にも夫にそのことを感づかれる用意のなさ、人間的な力の不足こそ女は非難されるべきだと考えている。藤壷がいつも賛美され、女三の宮が冷たくつき離されるあしらいを作者から受けているのはそのためである。
あの春の夕べ、うっかり袿姿を人目にさらしてしまった女三の宮の方にこの不義事件の半ばがあるとさえきめつける紫式部という作家は、よくよく馬鹿な女が嫌いなのであろう。』
なぜかこの部分だけがはっきりこころに残ってしまった。
素晴らしい作家でとてもおしゃれだった近藤富枝さま。
さようなら